ようこそ、民族音楽研究会へ!

民族音楽研究会 誕生物語
1年生の時、木造の薄暗い校舎の教室で、私、石坂と鈴木くん、来田くん(確か輪島出身で、若くして亡くなった)の3人が集まり、当時流行していたキングストン・トリオの曲を練習していた時のことです。ギターをかき鳴らし、曲が最高潮に達した頃、突然ガラッと教室のドアが開き、生活指導の某先生が現れました。
「こらつ!お前ら、そこで何をやってる!」
「フォークソングの練習です」
「なんだと、ホームソングの練習なら家帰ってやれ!」
と言うダジャレだかなんだか、わけのわからないお叱りを受け沈思黙考したのでした。
でも先生の言うことを素直に聞くわけもなく、当時流行していたピーター、ポール アンド マリーを中心としたフォークブームの中、国高にも次々とグループが誕生。放課後の教室や階段の踊り場を練習場所として活動するようになったのです。こうして徐々に同好会を創る機運が高まり、1966年12月21日、小金井公会堂での予餞会演奏を経て、翌年1月12日のクラブ代表者会議で民族音楽研究会(通称:民音)が同好会として承認されました。そして、私、石坂が初代会長に就任。顧問は、あの「Dona Dona」を教材として使用していた英語の中村先生でした
嬉しいことに、同好会の承認はPP&Mの来日公演と重なりました。承認の3日後、私はPP&Mのコンサートを観に日比谷公会堂へ。すると、偶然マリーが車から降り、長いブロンドの髪をなびかせながら会場横の階段を颯爽と駆け上がっていく瞬間を目撃することができたのです。
それにしても、「民族音楽研究会」とは随分と重厚なネーミングをつけたものです。まるでガムランでも演奏するかのような名前ですよね。しかし、これにはそれなりの理由がありました。
同好会の名称を申請する際、普通に「軽音楽部」や「フォークソング部」といった名前も候補に挙がったと思います。しかし、あの“ホームソング事件”もあり、先生方に納得してもらうために「民族音楽」という硬い名前を採用し、さらに「研究会」と付けてなにやら学術的な意味を持たせようとしたのだと思います。実際のところは、ただギターを弾いて歌いたいというだけのグループ活動だったのですが・・・。今、国高のホームページを見ると、驚いたことにまだこの名前がそのまま使われています。さすがに「研究会」から「研究部」へと昇格したようですが・・・。
さて、このたび当時の貴重な音源が見つかり、HP上で紹介することとなりました。一つは小金井公会堂での予餞会演奏、もう一つは私の家で録音した練習音源です。何せ60年近くも前の録音なので、音質はあまり良くありませんがご容赦ください。ご興味のある方は、ぜひ一度聴いてみてください。
民族音楽研究会 初代会長 石坂修三(4組)
2025.3.15
ピーター、ポール アンド マリーのこと
民音のアイドルだったPP&M、残念なことにマリーは2009年に、ピーターは2025年に亡くなりましたが、たくさんの映像がYouTubeにアップされています。以下は1965年Peter, Paul and Mary イギリスBBCの公開録画の模様です。(1部と2部に分かれてます。)当時民音が夢中になって聴いていた頃のPP&Mの瑞々しい音楽を是非とも聴いてみてください。
